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高松高等裁判所 昭和55年(ネ)290号 判決 1981年7月10日

控訴人

曽我昇悟

右訴訟代理人

近石勤

外二名

被控訴人

曽我繁雄

被控訴人

曽我福子

右被控訴人両名訴訟代理人

加藤茂

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  控訴人は、被控訴人曽我繁雄に対し金七五五万一、九五九円、被控訴人曽我福子に対し金七二〇万一、九五九円及びこれら各金員に対する昭和五四年四月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を付加して支払え。

三  被控訴人らの、その余の各請求を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じて、これを五分し、その二を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

本件における事故の発生、控訴人は自賠法三条により右事故によつて生じた人身損害を賠償すべき義務ある者であること(以上すべて争いのない事実)、控訴人の抗弁に対する判断、亡宗司及び被控訴人らの蒙つた損害、被控訴人らが宗司の損害賠償債権を相続により各二分の一あて承継取得し、自賠責(強制)保険金合計一、五〇〇万円を受領したこと(争いのない事実)についての当裁判所の判断は、後記のとおり附加変更するほか、原判決の理由七、八を除く理由と同一であるからこれをここに引用する。

一抗弁2(宗司の過失)について

宗司が本件事故現場の地理的状況を熟知しており、運転免許の受有者であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、本件事故現場付近の形状等は、東西に通ずる国鉄予讃線の線路敷と、南北に通ずる幅員2.4メートルの平担なアスファルト舗装道路とが直角に交差している踏切(安知生第一踏切)であり、右踏切の北東側角と南東側角の二個所に国鉄の警報器が設置されており、汽車が同踏切へ接近してきた際、警鍾音を自動的に発するもので、その警鍾は、本件事故の際にも鳴つていたこと、控訴人は被控訴人らと同居し、その居宅は右踏切の北西側の隅に位置し、同居宅の庭先から東側の道路へ出て、踏切線路の北端から北へ約3.5メートル離れた路上に設けられている一時停止の道路標識辺へ至るまでの間は、右道路の東側沿いに設置されている車庫建物及びコンクリートブロック塀に遮られて、東側の鉄道線路上への見通しがきかないこと、本件事故の際、控訴人は右自宅の庭から原判示普通乗用自動車の後部座席左側に宗司を、助手席に姉富有子(当時二四歳)を同乗させたまま発進して東側の道路へ出たうえ、南へ向け時速五ないし一〇キロメートルで路上を六メートル余り走行し、前記一時停止線の直前へ差しかかつたとき、前方八〇メートル余の路上に立つている男を友人だと思つて、「おかま(友人の渾名)がきよる」と声を出したところ、富有子が「ちがう、ちがう」といつたが、控訴人は右人物を確認する方に気を奪われて、踏切前での一旦停止も左右の安全確認も怠つたまま、前記速度で進行し続け、自車の前輪が踏切の南側線路を通過した瞬間ころ、「あつ」という富有子の声がしたのにつられて、直ちに東方を見たところ、約五メートル近くまで汽車が進行してくるのを認めたが、次の瞬間に事故車の左側中央辺に列車が衝突し、本件事故が発生したこと、当時、小雨が降つており、右自動車の窓は運転席右側のものの上部が少しく開かれていたほかは、他の全窓が閉じられていたこと、控訴人は事故発生まで右警鍾が鳴つているのを全く気付かず、宗司・富有子も警鍾音や汽車の近づいてくる音響等に気付いていた形跡がないこと、当時付近の路上に他の人車の通行はなかつたことが認められ、他に右の認定を左右すべき証拠はない。また<証拠>によれば本件事故当時、控訴人が後数日で一九歳に達する一八歳であり自動車の運転免許を取得してから四か月余を経過していたことが認められる。

控訴人訴訟代理人は、宗司は踏切を通過するにあたり、控訴人に自動車の運転をさせることなく、自分でこれを運転すべき立場にいたと主張するが、踏切付近の形状、交通状況等にかんがみると、宗司としては免許を受有して間もない控訴人が運転して右踏切りを通行しても、自分が運転する場合と比較して、交通の危険が増大するかも知れないことを予想できるような特段の事由がなかつたといえるから、控訴人と運転を交替して、右踏切を通行すべき責務があつたとか、そうすべき立場にあつたとはいえない。

さらに控訴人訴訟代理人は、宗司は事故車が踏切の手前にさしかかつた際、警報器の鍾音が鳴つているのを聞いた筈であるから、即刻、控訴人へ停車を指示すべき責務があるのに、これを怠つてその指示をしなかつたと主張し、当時、警報器の鍾が鳴つており、その音は可成り高かつたと想像され、事故車の窓の一端が開かれており、控訴人が「おかまが来よる」と言うまでは車内で会話はなかつたし、警報器と自動車の距離をも合わせ考えると、宗司の耳へ感知できる警鍾音が届いていた公算が大きいといえる。しかし自動車のエンジン音の大小・強弱、雨及び外気の流れ具合による遮音効果などの如何によつては、宗司の耳へ警鍾音が届いていても、それが微弱であつたり、エンジン音と混合して、多分に雑音化していたことも絶無とはいえないと考えられるし、さらに宗司が事前に警鍾音を聞きつけていたとしても、控訴人運転の自動車は一時停止線の手前辺に至るまで、徐行ないし、これに近い低速で進行していたし、控訴人において踏切前で一時停止せずに通過するかも知れないことを感知できるような運転態度があつた訳でもなかつたと想像されるから、宗司が事前に控訴人へ一時停止の指示を与えなかつたのを落度であるということはできない。さらに宗司は運転免許受有者で控訴人より年長であるからといつて、控訴人の右踏切運行の際に、その運転を指導すべき責務があるともいえず、当時、同人は後部座席へ坐つていたこともあつて、自動車が一時停止線で停止せず、進行するのを即刻気付き得ない場合も少なからずあり得ると考えられるし、自動車が一時停止線を通過してから汽車と衝突するまでの時間は極く短いこと(自動車の時速が五キロメートルの場合で約四秒、一〇キロメートルの場合で約二秒である)をも合わせ考えると、宗司が事故発生前に警鍾が鳴つているのを聞きとつていたのに、自己の同乗している車が、その踏切へ向けて、一旦停止せずに進行しようとしているのを黙過したと推断するのは、甚だしく不自然、不合理であるといわなければならないし、また宗司において同車が踏切前での一旦停止をせず進行していることを逸速く知つていたとか、容易に知り得た筈であると推断するに足る事跡も認められない。

右のとおりであるから、本件事故の発生につき宗司に過失があるとはいえず、控訴人の抗弁2は理由がない。

二抗弁4(宗司の損害発生に対する被控訴人らの寄与ないし過失)について

控訴人が本件当時、一八歳の未成年者であり、被控訴人らが控訴人と同居し、親権者として、自動車運転をも含めた同人の行動を指導監督すべき責務を負担していたことは当事者間に争いがなく、控訴人が昭和五一年一二月一七日、運転免許を取得し、同五二年二月五日、本件自動車を購入し、同年四月一日就職し、以降、本件事故まで、その稼働収人(月収七万五、〇〇〇円)の大部分を同車の維持運行経費に使い、自己の食住経費などは被控訴人らに負担して貰い、車の保管場所には被控訴人ら居宅の庭を無償で使つていたことは当裁判所の引用する原判決認定のとおりである。弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人らは、自動車が運転を誤まれば重大な事故を惹起する危険なものであること及び本件事故現場の北側道路上と東方線路上との間は相互に見通しがきかず、交通事故発生の危険がある場所であることを理解していたことを推認でき、<証拠>によれば控訴人は本件事故前に、速度超過運転で二回検挙されるなどの前歴があつて日頃の運転態度に芳しくないものがあり、その検挙された速度違反一回の反則金六、〇〇〇円も被控訴人(母)福子が負担し控訴人に代つて納付したことが認められるところ、被控訴人らが本件事故前、控訴人に対し、その自動車の運転に関して特段の注意を与えたとか、本件踏切の通行に関する危険防止を指導したことを窺わせるべき証拠はない。

右の事実に徴すると、本件事故前において、控訴人の運転態度に速度違反など芳しからざるものがあつたのに、被控訴人らが特段の警告も指導も与えなかつた点で、その監護の責務を十分に果していたとはいえない。しかし、控訴人は事故当時後数日で一九歳に達する年齢で既に就職している身でありかつて踏切前の一旦停車をしなかつた形跡もないから、被控訴人らにおいて、踏切通行に関する特段の監督措置をとらなかつたのを、一概に責められないのみでなく、被控訴人らの監督不十分であつたことが、控訴人の本件無謀運転(見通しの悪い踏切前での一旦停止も、左右の安全確認もせずに踏切を通過しようとしたこと)を誘発させたものとは認められず、却つて、前記宗司の過失についての判断で説示したとおり、踏切の手前に至つた際、控訴人はたまたま前方にみた人影を友人と思つて、その方に気を奪われた結果、一旦停止及び左右の安全確認をすることを全く失念したまま、踏切を通過しようとしたという、その場の偶発的な出来事が右無謀運転の誘因であると認められるのであり、被控訴人らの指導監督上の不行届は本件事故の発生ないし宗司の損害に対し相当因果関係があるものとはいえないから、これを以てその損害発生原因の一端と評価するのは相当でない。

控訴人訴訟代理人は、被控訴人らは自賠法三条に規定する事故車の運行供用者に該り、同車の運行によつて生じた宗司の人身損害を賠償すべき責任を負担するので、その責任は不法行為者である控訴人に対する関係では、共同不法行為者間の損害賠償義務と同様に解すべきであると主張するが、被害者保護のため複数の運行供用者が認められる場合は不真正連帯債務関係であつて債務者間に負担部分とか求償関係は認められずその複数者相互間における賠償責任が通常の共同不法行為者相互間のそれと全面的に同視すべき法律上の根拠はないし、またそのように解釈するのを相当とするような理由も認められないので運行供用者相互間に共同不法行為者相互間におけるような賠償責任の分担を認めるべき理由はないといわなければならない。そして被控訴人らの控訴人に対する指導監督に不行届なものがあるとはいえ、それが控訴人の本件不法行為を誘発したものとは認められないのであるから、本件事故によつて生じた宗司の損害につき被控訴人らが不法行為者として、その賠償責任を分担したり、求償義務を負担すべき理由はないというべきである。

しかし、被控訴人らの控訴人に対する前記監督不十分は、不法行為の成立要件としての過失とはいえないにせよ、本件事故による損害賠償の請求者である被控訴人ら各自の落度であることは否定できないこと、宗司の同乗はいわゆる好意同乗で同人も事故車の運行利益を享受していたこと年長者で経験豊かな宗司が当時控訴人に適切な注意をすれば事故の発生を防止できたかも知れないこと、被控訴人らも控訴人に食住を提供し事故車の保管場所を提供する等控訴人の直接的であるのに比べ間接的であるとはいえ事故車の運行供用者の地位にあつたこと等本件に現われた諸般の事情を考慮すると、本件のような特殊な場合は信義、公平の立場上被控訴人らの請求できる損害賠償額は、承継した逸失利益を含め一般の場合に比し可成り減額するのが相当であり、本件の場合はこれを三割と認めるのが相当であるから控訴人のこの点に関する主張はこの限度で理由がある。

尚本件のような場合被控訴人らが控訴人に慰藉料を請求できるかどうか問題があるが控訴人訴訟代理人はこれを控訴理由とせず、かつ既にかなり減額されているのでこれ以上言及しない。

三そうすると、被控訴人曽我繁雄については、宗司の逸失利益の合計三、四八六万二、七四一円の七割に該る金二、四四〇万三、九一九円の各二分の一を承継取得した金一、二二〇万一、九五九円と、葬儀費用五〇万円の七割に該る三五万円と慰藉料二五〇万円を合計した金一、五〇五万一、九五九円から既に填補ずみの七五〇万円を控除した金七五五万一、九五九円、被控訴人曽我福子については繁雄と同じく承継取得した損害金一、二二〇万一、九五九円に慰藉料二五〇万円を加えた一、四七〇万一、九五九円から填補ずみの七五〇万円を控除した金七二〇万一、九五九円及び右各金員に対する本件事故後で損害算定基準日の翌日である昭和五四年四月二日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する限度で、同人らの本訴請求は理由があるから認容するが、同人らのその余の各請求を失当として棄却することとし、これと異なる原判決を右のように変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条前段、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(菊地博 滝口功 川波利明)

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